長野の岐阜

長野の岐阜。

あれ?それどこやねん?

違う違う、間違えた。

長野の義父が正解や。(^^;)

そう、今回は長野県の義父のこと、つまりは僕の妻の父ちゃんのことを書くんだった。

最近更新しなくて非難殺到のこのブログには初登場なお義父ちゃん。

でもね、この前亡くなっちゃった。。。



初めて出会ったのが今から25年前。



あの時、最初が肝心とばかりに、緊張しながらも関西人らしく「人懐っこい直人」作戦でいこうと思い、初めて会ったお義父ちゃんに「オッチャンはどんな仕事してんの?」って話しかけてドン引きされたよな(^^;)



教育県とも称される長野県の真面目な人に初対面で。。。しかも娘が連れてきたデカイ男からいきなり「おっちゃん」って呼ばれた上にタメ口で話されるってオモロすぎるやん( ̄▽ ̄)


あの時はびっくりさせてごめんやったなあ。お義父ちゃん。



でもな、20代の若かりし僕も彼女のお父さんに対面する緊張の中でたどり着いた作戦やったんやで。



僕が帰った後、「関西の人間は初対面の人に(おっちゃん)って呼ぶのか?」って不快感を表してたらしいけど、今だったら「ちっさいこと言ってんじゃねぇよ。」って笑って言えたのにね。



最初こそそんな出会いだったけど、すぐにお酒を酌み交わし京都の直勝会長とも意気投合し、僕を実の息子のように可愛がってくれたお義父ちゃん。



ラグビーの事なんて全然知らなかったのに、僕と出会ってからは長野の菅平高原で合宿があると聞けば差し入れをもって駆けつけてくれ、大阪で試合があるといえば応援に駆け付け、フランスにもウェールズも応援に来てくれたこと感謝してるで。



サントリーが初めて日本一になった時も花園ラグビー場で応援してくれてたもんね。



元々、体が不自由だったから一緒に温泉旅行に行ったときは体中洗ってあげたの覚えてるか?



大事な部分は自分で洗うから大丈夫って言ってくれてホッとしたもんや(^^;)



まぁ、覚悟は決めてたけど出来るなら避けて通りたいやんか。。。ねえ?(^^)





そんなお義父ちゃんが、ここ10年でガクッと悪くなって、ワガママにもなって。。。



僕もキツく怒ったりしてしまったし、お義母ちゃんや娘(僕の妻)や息子たちを度々困らせている姿を見て、ぼんやりだけど僕の中ではお別れの時が来たとしても涙は出ないんかなって思ってた。









そんなもんじゃなかった。。。



危篤の知らせが入り、次男と車で名神高速を急ぎながら車中のハンズフリーのスピーカーで聞いたお義父ちゃんの最後の声。



しばらくしてスピーカーから聞こえた妻からのお別れの知らせ。



自宅に到着して再会した、苦しそうに闘病している時よりもはるかに、生きてるような穏やかで安らか寝顔。



骨と心臓に埋め込まれていた人工ペースメーカーだけを残して消えてしまった空間。。。



ずっと涙が止まらんかった。



いっぱいありがとうって思えた。



いっぱい話しかけて、想定外の大量の涙を流したらめっちゃスッキリっちゅうか、なんかキヨキヨしいお別れになったわ。

あっ、スガスガしい、そう清々しいお別れができた。



とか言いながらさぁ、来週の初盆でまたこの世に帰ってくるんやろ? 忙しいなあお義父ちゃん。



僕は会いに行けないけど空から見守っといて!





ありがとうお義父ちゃん。



さいなら

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