前回の続き。
三成の陣跡の笹尾山をおり、国道の陸橋を渡り住宅街を抜けて
島津義弘の陣所跡を過ぎ西軍の中で1番の兵力であった宇喜多秀家陣所跡を目指します。
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ふと横をみると、耕太がデカイ蜘蛛を見つけ石川さんに見せるんだと写真を撮りまくってました。
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このあたりがこの戦いの火蓋が切って落とされた開戦の地でもあり、もっとも戦いの激しかった場所でもあります。
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宇喜多陣所跡はうっそうとした林をぬけた山の中にあり、そこを抜けるともうすぐ大谷吉継のお墓があります。?大谷吉継は、僕の大好きな武将でもあり、この武将の墓参りは今回の関ヶ原ツアーのメインでもあります。
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??結構な斜面の山道です。
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あまり日も届かない薄暗い場所にひっそりとたたずむお墓。
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?大谷吉継は、もともと徳川家康に味方するつもりで関東に向けて出陣していたのですが、
途中で三成の居城の佐和山城に寄り三成から家康への挙兵を打ち明けられます。
大谷吉継は再三にわたり三成に勝機は無いことを説くのですが、
最終的に三成との友情をとり西軍に加わる事になります。
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大谷吉継は豊臣秀吉をして『100万の軍勢を与えて、自由に軍配を指揮させてみたい』
とまでいわしめた優れた武将であったといわれています。
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彼は、味方の裏切りを予測した布陣で関ヶ原の合戦に望むのですが、
予想を超えた味方の裏切りが続出し奮戦するも関ヶ原にて自刃することになります。
この大谷隊の壊滅にともない西軍の敗戦が決定的になってしまうのでした。
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ちなみに大名クラスの武将でこの関ヶ原で死を選んだのは彼ただ一人だけのようです。
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大谷軍の陣所は、吉継のお墓から少し下ったところにありました。
おそらくここから裏切りの軍勢を睨み、西軍の最後の防波堤として激を飛ばし続けたのでしょう。
そういう場所なのだと思うと熱いものがこみ上げてきます。
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一方耕太は、また蜘蛛を見つけたようで写真を撮っています・・・
空気がおいしいようで深呼吸ばかりしてます。完全に登山者モードです。
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大谷陣所跡から下山して本日の予定は終了!
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第一回オタク部会も無時終了!
次回は、耕太が企画担当ですが、何も提案されなければ、
もう一度関ヶ原に来ようと思います。今度は、東軍の陣所跡を廻ろうかと考えております。
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以上 ちゃーでした
以上 山口でした。
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