ナースの事を 「白衣の天使」 って呼ぶことあるけど、酒屋の僕だって 「白衣の天使」 になることがある。
お得意先のセンチュリーホテルさんは、衛生管理の為に僕ら酒屋をはじめ納入業者は白衣の着用が徹底されている。
白衣を着ただけじゃ 「白衣のオッサン」 だけど みんなを幸せにする(株)なおかつのお酒をお届けする僕は 「白衣の天使」 やん?
GWのはじめ、山本の助手としてセンチュリーさんへ納品に行った僕もルールに従い白衣を着用した。
サッと白衣を着こなす山本の横で問題発生。
僕に合うサイズがなく、袖を通したはいいけど息を吸い込んで息を止めてスリムにならないと胸のボタンが留まらない(^_^;)
だからといって、白衣を着ないと配達が出来ない。
さて質問。
選択肢① 「白衣を着れないので配達をあきらめる」
選択肢② 「息を吸い込んだ状態で白衣を着て配達する」
さあどっち?
とりあえず 答え② を選んでオプションの 「ボタンが弾けないように少しずつ息をする」 をトッピング。
これ、じっとしてるだけなら良いけど、僕は酒屋だからその状態で商品を運ばないといけないんだなあ。
「北斗の拳」の主題歌を歌いながら ブチッブチッブッチーッ!! てボタンを弾き飛ばしたくなる衝動を我慢して配達開始。
大物は山本、小物は僕が運びどうにか配達終了!
山本の助っ人で配達に同行したのに、かえって迷惑かけちゃった(^^)v
デブサイズの白衣を買うか、僕が痩せるか、よ~く考えてみるわ。
中村直人さん
猛烈にお久しぶりです。ざっと40年。だからきっとご記憶にはないと思います。
私は当時貴店のご近所にあった下村染工場の次男、下村 修史と申します。
同じく染工場の竹村さんちのみつるくんと3人でよく遊びましたよ。
どういう訳かその記憶が今も鮮明で、かわいい妹さんのことや
遊びに夢中の直人さんの「よだれ」まで憶えています。
小学生だった私の記憶では山のように大きくて笑顔が素敵なお父さま、
おキレイで夕飯の時間とか厳しかったお母さま、今もお変わりなくお元気そうで、
そしてなにより直人さんがご立派に家業を継がれているお姿を拝見して
なんだかすごく感動いたしました。
それにしても直人さんやスタッフの方の文章がどれもユニークで大変楽しいHPですね。
私も楽しかった遠い時代に再会できたひとときでした。また時々覗かせていただきます。
ありがとうございました。
下村修史さま
しゅうちゃん!
40年近くご無沙汰しております。
僕も一緒に遊んでもらったこと鮮明に覚えてますよ!
しゅうちゃんの家の応接室みたいなところでモデルガンで遊んだことや、みつるくんの家の染工場の機会の上で遊んだことなど、かなりな鮮度で思い出が残ってます。
なおかつの近くに来られることあったら是非お立ち寄りください。
お待ちしております!!!
中村直人さん
うわぁ、なおとくん(当時私はこう呼んでたと思う)憶えててくれたんやねぇ。
なんかちょっと、涙出そうになってきたよ。なんせ40年やもんね。
このHPに辿り着けたのはグーグルのストリートビューのおかげです。
自分の生家跡が見たくなって蓼原町内をデジタル徘徊してるうちに、
「そうや。なおとくんとこどうなってるんかな?」ってカーソル進めると
昔と同じ場所にお店があり、昔より盛大にご商売なさってる雰囲気。
ただ、屋号が当時の「中村酒店」から「株式会社なおかつ」に変わっていたので
なにげなく検索かけちゃったという訳です。インターネットはすごいね。
うちの両親はもう他界し、今私は長岡京に家族三人で住んでいます。
大阪で広告デザインの仕事をしてる下流サラリーマンです。
わりと最近まで5年ほど東京に単身とばされていました。
左京区の方面に行く機会はあまりないですが、なおとくんが頑張ってるんで
いつか立ち寄りたいと思います。いいご縁をありがとう。
しゅうちゃん
弊社の屋号は、しゅうちゃんが引越さはったあとすぐに変更なったんやと思います。
僕が小学校の低学年やったから。
長岡京ですか!
呑みに行きましょうよ!
僕も3年前に京都に帰ってきましてそれまでは18年間東京にいたんですよ。
竹村さんのみつるくんも東京の高島屋で頑張ってられるようです。
いただいたコメント、両親も大変喜んでおりました。
なおとくん
お互いおっさんとなった今、ぜひ呑みたいね。
Facebookとかどうですか?連絡とりやすくなるしね。
あ、それと、このブログの中になおとくんの免許証の写真あって
東京時代の住所見てびっくりしましたよ。杉並区和泉…
私は永福町でした。どっかですれ違ってたかもね。。