前編では関ヶ原の紹介が出来ていなかったので、後編はがっつり紹介したいと思います。
始めに向かった関ヶ原町歴史民俗資料館、関ヶ原の戦いの布陣から始まる両軍の戦いの行方を教えてくれるパネル、甲冑、火縄銃などなど。
東軍に寝返った小早川秀秋が当時19歳だったという事も始めて知りました。入場料も350円とリーズナブルなお値段。
そして、いよいよオタク部の巡礼が始まります。向かったのは決戦地、関ケ原合戦で最も戦いの激しかった場所とされてます。
正直この時が一番熱かったです(肉体的に)。関ヶ原は傾斜の緩い盆地、太陽をさえぎるビルや木々も決戦地に向かう最中は、一切なし。車で来られてる方もおり、歩いて回ろうと言い出したことを少し後悔。
決戦地から後は歩いてすぐの所に陣跡などが次々とありました。太陽が雲で隠れた事もあり、大変気持ちよく回れました。
島左近陣跡・蒲生郷舍陣跡、笹尾山・石田三成陣跡、島津義弘陣跡、開戦地、北天満山・小西行長陣跡、南天満山・宇喜多秀家陣跡、藤古川ダム、大谷吉継墓・湯淺五助墓、大谷吉継陣跡、山中の若宮八幡神社、平塚為広碑
西首塚に行くのは忘れておりました。
会社で記事を書いている最中、隣にいる部長に
「そういえば、西首塚に行くのは忘れておりましたね。」 と、うっかりもらせば
「もう一度行くぞ!もう一度!」 と言われてしまいました。
それはさておき、関ヶ原には羊がおりました。(よく考えたら、ヤギなのかな?)
私どもオタク部も関ヶ原に羊(いや、ヤギ?)がいるなんて思ってなく、鳴き声も変な虫かカエルなのかな、と思ってましたが...
島左近陣跡・蒲生郷舍陣跡、石田三成陣跡から帰ってきたときに初めてヤギだと気づきました。
(メエェーと鳴くのはヤギですよね? 毛もモコモコではありませんでしたし)
そこからの行く先々にはヤギが点々と
(ヤギですよね?)
部長は一匹だけ離れた所にいた老ヤギと、メェーッ メェー! と会話されていたようです。私は横目でそれを聞いておりました。
林道を通り、クマ出没注意! を見て、ダムを渡り、山に登り、分かれ道を右に行った先には、部長念願の大谷吉継さんのお墓がありました。じっとお祈りされてる姿に、カメラを向けるのは無粋な気がして、撮ることはできませんでしたが、部長の真摯な姿を忘れることはないでしょう。(メェーッ メェー! と鳴かれていた事も同様に忘れられないです。)
「花束持ってくればよかった。」 と、つぶやいておられました。
関ヶ原から京都に帰ってきて、別れる際には
「あー、あかん! 燃え尽き症候群みたいやわ。」 とも言っておられました。
大変、印象深いものなった関ヶ原遠征。
私にとっては関ヶ原よりも部長の言動のほうが記憶に残っているようです。
次回予告?
ダムの橋の上、虫たちの襲撃に遭う部長。
用意しておいた手持ちの小さなスプレーで必死に応戦するが...
奮戦むなしく、スプレーがきれる!
向かう先には、まだ山が待ち受けていた。
果たして部長の運命やいかに...
関ヶ原 番外編 ~更新予定なし~