そんなこんなでオジサンを担いでヘロヘロになりながら降りてきた富士山。
オジサンのおかげで山頂に着いたときと同じくらいの達成感があったわ。
途中、上の山小屋まで商品を運ぶ軽トラックとすれ違ったんやけど、その対応の冷たさは寂しかったけどね。
「怪我人を担いでるんですけど乗せてもらえませんか?」 ってお願いしたのに
「むり!」 って言われた。
あの夏すでに38歳やったけど、あんな大人にはなりたくないって思った。
オジサンとお別れの時。
徳光さん司会の 「世界ウルルン滞在記」 の 別れの朝 みたいに涙は出ない。
だってしんどかったんやもん。
富士山にはまた登りたいけど、オジサン担いで山を降りるのはもうコリゴリや!
でも、オジサンのおかげで素敵な思い出が出来た。
それから数カ月・・・
オジサンから1通の手紙が届いた。
感謝の気持ちが切々と記され、その中には
「富士山頂にたどり着くことが出来ず目標にしていた御来光は拝めなかったけれど、御来光よりも輝かしく素晴らしい人たちに出会うことが出来ました。」
って書いてあった。
「あのオジサンがとてつもなくお金持ちだったらどないしよ」
「ポルシェ買ってくれるかなー」
って話したことを思い出すけど、手紙だけやった(^_^;)
で、9合目まで登って怪我をしてしまうこのオジサンはこの手紙も (あと少し) で失敗していた。
宛先のサントリーサンゴリアス清宮監督ってとこを清原監督って書いてしまってた。
昔は大阪の番長やったってとこは同じやけど、うっとこの清宮さんは 「男気じゃんけん」 してへんし。
富士山のお話、おしまい(^^)/
7年経つと記憶も曖昧になるもんですね。
船長な男。清宮さん
いいんでしょうか..この写真は…。