なおかつメンバーブログは毎日更新!を合い言葉に
日々のブログ更新に向けてメンバーそれぞれが自分の得意分野を
盛り込みながら、悪戦苦闘している。
私は海外サッカー、やんまーは天気・気候関連、こうきはねこちゃん、
は、特にマンネリ化しつつあるメンバーだ。
ところが最近、やんまーの天気ネタがなくなった。
理由は、「あまりに簡単すぎる」とメンバーからクレームが入り、
しばらく投稿禁止になっていたのだ。
そんな中でふと思った。
やんまーの“天気ネタ”って、ほんとうに簡単すぎるのだろうか?
いや、むしろ奥が深いのでは——。
人はなぜ、つい天気や気候の話をしてしまうのだろう。
「暑いですね」「今日は冷えますね」「雨が続きますね」・・・
こうした言葉は、どんな相手にも自然に口をついて出る。
その理由のひとつは、天気が誰にとっても共通の現実だからだ。
政治や趣味、仕事の話は、相手によっては合わないことがある。
だが、天気だけは誰にでも等しく降りかかる。
つまり、差のない話題であり、「会話の安全地帯」なのだ。
さらに言えば、天気の話は共感を生むきっかけでもある。
「暑いですね」と言えば、相手も「ほんと、たまりませんね」と返す。
その瞬間、二人のあいだに小さな連帯感が生まれる。
お互いの感じている不快や喜びを共有できる、そんな人と人との橋渡しの役割を果たしているのだ。
つまり、やんまーがやっていたことは、ただの天気報告ではなく、
世界中の人類が共感し続けてきた古代からのコミュニケーションの原型だったのかもしれない。
などと書くと、急に「やんまーのお天気ブログ」が哲学の香りを帯びてくるから不思議だ。
考えてみれば、昔から人は天気とともに生きてきた。
農作業、漁、旅、祭り——すべて天候に左右される。
その記憶が、今も私たちの会話の中に息づいているのかもしれない。
空模様を語ることは、自然とともにある自分を確かめる行為でもあるのだ。
というわけで、やんまーの天気ネタ、あれはあれで深かった・・・
そういうことにしよう。
そして次はぜひ、「雲の気持ちになって一日を振り返る」とか、
「低気圧に支配された男の週末」とか、一歩踏み込んだ気象ブログに挑戦してほしい。
そうなると『お天気ネタ』の禁止解除を検討する余地もでてくるのではないかと思う













ご縁にカンパイ!
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