いつも通勤で前を通る某大学の正門の前に、学園祭の看板が出ていた。
そういえば、京大の学園祭もそろそろだなあ、なんて思った。
京大の学園祭は「11月祭」といい、”November Festival”の頭文字を取ってNF(エヌエフ)と呼ばれている。
例年ラグビー部はリーグ戦真っ只中で、残念ながらあまりNFの想い出は無いんだけど、1回生のときはクラスで出店をだして、当番制で売り子をやったりもした。
正確には看板を木陰に立てかけて、隠れてほかの出店のフランクフルトを食べてた記憶だけど(ゴメンナサイ)、その売上でみんなで飲んだお酒の味はみな平等で美味しかった。
そんな感じでNFの中身についてはよく知らないけど、それでも毎年楽しめるコンテンツが一つだけある。
それが『統一テーマ』というもの。
統一テーマとは、いわばその年のNFのテーマであり、学生たちの公募によって決められる。
そのテーマが年によってはなかなか秀逸で面白かったりする。
例えば、1959年(昭和34年)の第1回のテーマは『戦後派意識の解明』
そして、翌年の第2回が『独占資本主義社会におけるマゾヒズムとサディズムの意識』
なんかいかにもって感じで、正直なんのこっちゃよくわからないけど、いまも昔も根底にある思想は変わってない様な気もする。
知らんけど。
70年代くらいになると、メッセージ性が強くなってきて、
1970年『歴史の試練に応えんとする我ら 失うまい 奔流の中で 科学者の目を!いつわりの孤高に別れをつげ 人民の連帯の息吹をだきしめよう 君のその精悍の腕でがっしりと』
1972年『嵐を突き 燃え拡がる変革の炎 歴史に問んとする我ら 研ぎ澄ませ!理性の目 生きた思考 造ろう!新しい大学そして科学』
1976年『燃やそう!新しい文化の炎を 研ぎ澄まそう!若き知性を 学術文化の奔流よ築け 学生の文化を』
1979年『今、新しい時代に立ち向かう仲間たちよ 数百年を内蔵する思想を持とうではないか』
何となく高度経済成長期のガツガツした感じが伝わってくるような気がする。
知らんけど。。
そして80年代くらいになると、今の時代の感覚と近くなってきてるような感じもする。
1982年『草の根も 花も咲いたら ひざまずき ひろひろとおがんでむせび泣く 人は昔にゃ戻れない ピーピーヒャララ ピーヒャララ』
1983年『万声一京 極祭色 騒がぬ民に 盛りなし』
1985年『もうすぐきっと冬になる 騒ぐんだったら 今のうち』
1989年『堕落への誘い』
そして90年代以降は、すっかり馴染みのある感じになっていく。
1992年『人が右なら、私は左』
1993年『花も実もある 根も葉もない』
1995年『我輩は京大生である 理性はもうない』
1999年『素晴らしき無駄なエネルギー』
2007年『満喫!モラトリアム。』
2008年『単位より大切ななにかを求めて』
2010年『仕分けできないムダがある』
2011年『年に一度の計画発電』
2013年『京大を、取り戻す。大学の理想、形を物語るのは、学生であります。』
2019年『ふざけんな、ふざけろよ』
ちなみにコロナ期間でもテーマはあって、
2020年『NFのミーティングのIDとパスワードを教えてください』
2021年『我ら社会の変異株』
などなど、何となくその年の世情や時代背景が読み取れて面白い。
ちなみに、テーマとは関係ないんだけど、数年前からNFも全面禁酒になってしまった。
なんかどんどん堅苦しくなっていくし、いちど厳しくしたルールはなかなか緩められないもんで、何だか自由を謳う京都大学の魅力がますますなくなっていってしまってるような気がする。
そんな風潮に待ったを掛けるべく、テーマにピッタリな言葉があるから、学生諸君、君たちにこれを貸してあげよう。
来年はこれでいきましょう!
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